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極楽寺について

元舟木村(現本郷町船木)にあって、三原城築城の際、城下の整備として東野村糸崎谷(現糸崎町)へ移され、その後寛文三年(1663)浅野家の家臣達により、この地(東町)に移され現在に至っている。
本堂は広島県重要文化財、さらに山門は新高山城の搦手門と伝えられ三原市重要文化財指定を受けている。

本尊 阿弥陀如来

良忠上人作
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娯楽寺 学信和尚作

欄間

本堂内陣正面に、京都の彫刻師中村頼祐作の「龍と波に遊ぶ兎」のすばらしい欄間があります。
立像 3メートル余りの銅像観音立像が境内にあります。
庭園はつつじでうめられた見事な庭 。
墓 湯浅甚介の墓(本能寺の変の時、織田信長に加勢して討死した人。)三千余霊の無縁仏を祀った無縁如来塔や、文豪志賀直哉の「暗夜行路」のモデルのマツさんの墓などがあります。

石碑

仏教詩人坂村真民の「二度とない人生」などの石碑

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本堂

(広島県重要文化財)
江戸時代中期の元文2年(1737年)に再建された桁行7間(13.53m)、梁行5間(13.12m)入母屋造本瓦ぶき(背面しころぶき)の本堂です。 本堂正面入口や内部中央間近に透き堀の欄間、来迎柱上の組物など、装飾性が加えられているが、側廻りの柱頭に舟肘木を置き、向拝は設けず、全体に素朴な構 成で統一されています。また、西日本の浄土宗の本堂では当山が唯一の例である結界そのものと格子の建具、両脇陣奥の位牌段下部の究めて珍しい形式の板戸、 近世社寺建築の特質である錣葺(しころぶき)などがあります。浄土宗の近世遺構の完備した残存例がほとんどない中で、再建に当たってそれ以前の仏堂形式を 忠実に継承されている点、日本の仏教建築史上注目されている遺構です。

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山門

(市重要文化財)
小早川家代々の居城であった高山城の裏門を移築したものと伝えられ、三原城築城の際、城下の町奉行所の門として使われてきました。その後、幕末には三原小 学校の前身である亦楽舎(えきらくしゃ)の門として使用された後、明治11年、この地に移されたものです。桃山時代の作と言われ「獅子と牡丹」「鳳凰と桐 花」の彫刻がほどこされている蟇股(かえるまた)のある切妻作り本瓦ぶき山門です。 見学希望の方はご連絡くださいませ。

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